植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会

日韓学生が一緒に植民地時代の記憶の場所をめぐる活動記録。

第6回活動報告〜9/29 植民地歴史博物館及び南営洞対共分室〜

 現在、私たちはソウルで植民地時代を考える「みんなで行ってみよう会」(略してみん会)という活動を行なっています。植民地の記憶の場所に日韓学生が足を運び、感想を共有します。2019年2学期第2回目の活動として、9月29日に植民地歴史博物館及び南営洞対共分室に行ってきました。

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植民地歴史博物館の前で。オシャレに撮れました(笑)

 植民地歴史博物館は昨年開館したばかりで、国家の視点に縛られない自由な展示を行なっている民間の博物館です。韓国初の日帝強占専門歴史博物館です。今回は、みん会の学生だけでなく、 日本から6名の女性団体の皆様もご参加してくださいました。みんなで一緒に2時間たっぷり解説を聞きながら展示を見て回り、昼食は強制動員被害者の遺族の皆さんと、その支援者の方と一緒に昼食をいただきました。

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民主人権記念館


 午後には南営洞対共分室に行きました。映画「1987」の舞台にもなった場所です。韓国では1948年に警察庁の所属機関として国家保安法違反、間諜行為などを取り締まるための保安分室が設けられました。それが、第三共和国から第五共和国時代(1963~88年)に民主化運動家や反政府勢力の取り締まりの目的が加わって対共分室と呼ばれるようになり、1976年、龍山区南営洞に専門部署のための施設として5階建ての建物が建てられました。ここが南営洞対共分室です。当時は国家権力による人権侵害が行われており、ここに連行されると無事には戻れないと恐れられていたと言われます。

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入口の様子。つい最近までは警察庁人権センターだったので、建物に警察庁のマークがあったそうです。今はすべて取り除かれた状態です。

 対共分室のあった建物は2005年まで保安分室として使用され、その後は警察庁人権センターとなり、一部が一般公開されていました。 2018年6月、「第31周年6.10民主抗争記念式」にてムンジェイン大統領は南営洞対共分室を「民主人権記念館」として造成することを明らかにしました。そして、2018年12月、 南営洞対共分室の移管式が行われ、現在、民主化運動記念事業会が市民社会とともに臨時の運営を行っています。2022年に「民主人権記念館」が正式に開館する予定です。

以下コメントを まとめたので、よかったら最後まで読んでください。

(今回は全員で感想共有を一緒にできなかったため、感想文形式で載せます。)

 

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参加者:韓国人3名、日本人5名の計8名

 

韓国人参加者Aさん

 私は冬休みにロシアと東ヨーロッパに行ってきたのですが、今日植民地歴史博物館を回ってみてロシアと東ヨーロッパで見た戦争博物館とは展示の仕方が違うなと思いました。大きな歴史的事実というよりも今日はより植民地時代の具体的な状況、一人ひとりの話の方がもっと響きました。その時代に住んでいた方のストーリー、人中心のストーリーを知るのも重要だと思います。国同士、いわゆる日本対韓国として見るのではなく人対人の観点で歴史を見つめ直してみるよい機会でした。マクロの視点、ミクロの視点両方で歴史を学ぶべきです。

 例えば、あまりにも国レベルで見ると見逃す点も出てくると思います。惜しいが植民地支配の謝罪の主催が国だけに前提されていることです。ミクロな視点で見れば、植民地時代には日本人被害者もいます。国を超えて強制労働者として被害を受けた人がいます。このように労働者の権利という観点でも歴史を見ることができます。あまり国にとらわれずに様々な角度から考えてみる必要があると思います。

 付け足しとして、今日は親日派についても改めて考えることのできた機会でした。実はインドでも親日派のように英国と協力するという選択をした人も少なくなかったようです。彼らは一旦英国と協力して、地位や財産を確保しながら独立の準備をしようと思ったそうです。韓国の親日派も似たようなケースです。日本に協力しながら高い地位に着いてから権力を貯めて独立しようという考えは、親日派になる選択する理由の一つとなったようです。親日派は45年まで韓国社会で活躍しました。米軍占領期になっても親日派は重用されました。これが後の韓国社会に深い傷を残すことにもなりますが…。現在でも親日派は複雑な立場に立たされています。現在進行中の問題と言えます。

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博物館を見学している様子。みなさん熱心に聞いています。

日本人参加者Aさん

 私が今回特に感じたことは、日本人は本当に日帝植民地支配の韓国の被害について知らないということです。私は日韓近代史に個人的に興味があったので細々と勉強してきましたが、知らないことが本当にたくさんあり、とても学びの多い身のある学習会になったという満足とともに、そもそもどうして私達は日本のこういう歴史について知らないのだろう、どうして誰も教えてくれなかったのだろうと悲しくなりました。

 現在韓国が抱えている問題、南北分断の問題や、親日派処罰の問題は見方によって日本の植民地支配に由来したものであるし、それについて日本人が全く知らず、他人事のような態度をしているのはおかしなことだと思います。日本人が日韓の歴史について理解し、日本の加害の歴史による現在も続く問題について当事者意識を持って解決に向かって動いて行くべきだと思うし、少なくとも自分はそのような努力をしていこうと思いました。

 

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天皇のために喜んで命を捧げよ」コーナー

日本人参加者Bさん

 前に植民地博物館は何回か行ったことはありましたが、対共分室は今回初めて聞きましたし、初めて伺わせてもらいました。植民地博物館もそうでしたが、知識不足ということもあって、もっと勉強してからまた訪問したいと思いました。

 

韓国人参加者Bさん

 他の博物館よりも植民地歴史博物館はより親日派にフォーカスを当てているなという印象を受けました。同じ時代を生きる朝鮮人にとって親日を選ぶか抗日を選ぶかで大きな違いが出たという事実を改めて見ることができました。印象的だったのが抗日と親日を対立する壁に沿って展示していてよりリアルに抗日、親日の違いを感じることができました。国を売って富貴栄華を享受した人々、命を懸けて国のために闘い続けた人々は全く違った人生を歩みました。もし私がこの時代に生きていたらどちらを選択するか考えてみたら一見悪党に見える親日派ですがなぜ親日になったのかその人の立場を少し理解できるなと思います。その時はいつ日本の植民地支配が終わるか誰にもわからない状態であったし、もしそのような先が不透明な時代に家族など守るべき人がいたら?成功するかもわからない独立運動をして全てを失ったら?もし故郷が、出身国が地図上からなくなると考えたら?など想像を膨らませると両方の立場についてより考えることができました。

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拷問される体験ができるコーナー

 少し話がずれますが、親日派は韓国では現在でもタブー視される傾向があります。十分理解できるところもありますが、韓国と日本がこれからさき関係を発展させていくには惜しい部分がありますね。私個人的には植民地時代の親日と現在の親日派は分けて見るべきだと思います。未だに続く反日親日構造の内容は、まずは日本をよく知るという"知日"が存在し、日本を克服する“克日”への道を緻密に探さなければならないことが前提にするべきですね。 結局、戦争や国交断絶ではなく、善隣外交としての方向を決めなければならないだけで、他の方法はおそらくないからです。

 今は日本を辱めて潰そうとするより、日本を隣人として尊重し、説得しようとする人、戦争か平和かの選択で平和を選択する人...など、反日感情という言葉のように単純な感情処理としてではなく実力で日本を超えようとする克日を図る人たちこそ、親日派という名称をつけなければならないと思います。 そのためには韓国で知日派が必要で、そこから親日派、克日派に発展していくべき今日この頃ではないかと感じます。

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現在、戦後処理問題関係で闘っている方々の様子の展示

 対共分室についてはもとが警察庁という公の場から今は市民の場になったことが一番印象的でした。映画1987の影響もあり、大統領府青瓦台の「国民請願」のページに、この建物を市民が運営する人権記念館にしてほしいとの意見があげられ、インターネットなどでも反響を呼んだそうです。また、保守政権からムンジェイン政権が変わって、韓国政府の負の遺産にも目を向けようとの動きを活性化させていて肯定的にとらえることができました。現在私たちが享受している民主主義がただ誕生したのではなく、過去の犠牲があってからこそなのかと改めて思いました。まだ問題はあると言えども、今の社会を作るために闘った方々に感謝の気持ちを伝えたいです。

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みん会の参加者、日本からの女性団体の方々、 強制動員被害者の遺族の皆さん及びその支援者の方々と記念撮影。

日本人参加者 Cさん

 日本の植民地支配についてメインで展示している博物館は私にとって初めてだった。展示の内容は、知識としては今まで学んだことと重なることが多かったが、植民地支配について朝鮮の人々の視点から語られているということで、日本人として見たときに知識としては分かっていたことでも新たな視点を得ているような気持ちになることが多かった。特に考えたのは、どうしたらこのような朝鮮側からの見方を日本人に伝えていけるだろうか、日本社会が受け入れて行くことができるか、ということである。

 印象的だったのは、日本の近代を築いたといわれる政治家たちが、朝鮮の人々にとっては植民地支配に突き進む大日本帝国を作り上げた人である、という認識の違いだ。もちろん、こうした認識の違い、立場の違いがあるからといって日本が朝鮮を植民地化したことが正当化されることには決してならないし、それが世界の潮流だったからという理由で説明できるとも思っていない。ただし、現代の日本社会が近代日本の延長線上に成り立ってきていることを考えた時、朝鮮の人々の認識を社会としてそのまま受け止めるのはおそらく難しく、その前にワンステップ必要なのではないかと思った。日本・朝鮮の双方での植民地・戦争期の認識の違いを理解することで、そのためには、日本社会でなぜ朝鮮の植民地支配についての理解が十分になされてこなかったのか、政治・教育・メディアなどの視点から考えていく必要があるのではないかと思う。

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5階の窓をご覧ください。拷問が行なわれた調査室だったので、窓がこんなに小さいです。

 また、親日人名辞典のお話や対共分室の見学をしながら、日本において植民地支配までは日本との関連で語られることが多いが、解放後の朝鮮が向き合うことになった南北分断、親日反日の対立、対共産主義独裁政権などの問題についての認識が日本との関連で語られることは少ないということを強く感じた。日本の中で解放後の朝鮮について日本の関わりを述べる人は少ないし、そもそも朝鮮半島でその後何が起こったかについて知らない人も多いと思う。正直私も対共産主義に関しては対共分室に行くまで知らないことが多かった。「植民地支配」といったときに、解放後も朝鮮半島が抱えることになったことも含めて考えて行くことが必要だと感じた。

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1階から5階までこのらせん階段が使われていました。階表示が一切なく、目隠しをしてこのらせん階段を上ったそうです。恐怖感を増大させるためでした。実際上ってみましたがかなり段差が急で大変です。ひたすらぐるぐる回るので方向感覚もなくなります。


韓国人参加者Cさん

 私は普段日本の学生たちとの活動をよくする方です。 良い意味でも悪い意味でも、日本は韓国のすぐ隣にいる隣国ですからね、 日本人はどんな考えを持ってどのように行動するのか、 これを把握することが韓国の立場ではとても重要だと思います。

 最近、日本に対してたくさん否定的な問題が出てきています。 しかし、時々日本に対してまともに把握できないまま、問題を受け入れるようになる場合があると感じます。 その一つが「行為者」の区分です。 私たちは問題に接する時、確実に行為者を区分する必要があります。 私たちがいつも韓国政府と同じ考えで行動しないように、日本政府と国民も同じです。 ですから日本政府の政策に対する反発が、日本国民に対する嫌悪に広がってはいけないと思います。

 韓日関係ではこのようにニュースでは扱っていない多くの裏面があり、より深い理解のためにはこれを知らずにやり過ごしてはならないでしょう。そのような意味で、このみん会の活動は公共外交的(public diplomacy)な観点で大きな意味を持つと考えています。日本の学生たちが韓国に対して学んでいる場というのは逆説的に言えば、韓国人にとっては、日本人の認識を学ぶ場になることができます。彼らが新しく知った韓国の姿はどうなのか、これを見て韓国人が得ることができる教訓は何か。みん会は日本政府の考えではなく、その裏面の日本人の考えが分かる場です。本当に多くのヒントを残してくれたフィールドワークでした。 ありがとうございました。

 

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5階廊下の様子。どのドアも同じように作られていて自分の部屋がどこかはっきりさせない意図があったそうです。

日本人参加者Dさん

 植民地歴史博物館を見て、日本軍の今まで行ってきたことや親日派についてさらに深く知ることが出来たと思います。でも今回のことから日韓だけではなく戦争とはどいうものなのか深く知ることができました。また戦争によって生まれた損害は責任の所在が曖昧であり、かつ絶対に完全に補償することが出来ないのではないかと考えました。戦後補償等の問題を今までずっと抱えている日韓が今後どうあるべきか考えさせられました。

 

日本人参加者Eさん

 私は今回植民地博物館を初めて訪れたのですが、正直日本人として少し居心地の悪い部分はありました。日本が過去に韓国に対してしたことは決して許されないことだし、もちろんそのことは決して忘れてはいけないと思っていますが、自分の国が犯した過ちに正面から向き合うのは心が痛かったです。日韓間の歴史を知る度に、今こうして両国が交流関係を築けていることを不思議に思うと同時にとてもかけがえのないものに感じます。強制労働被害者遺族のおばあさんが「私のお父さんを探して下さい」と言って涙を流された時、これからの若者に期待していると言って下さった時、両国の未来のために私が出来ることは何だろうかと強く感じました。

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87年1月に南営洞対共分室での拷問により死亡したソウル大生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)さんが使用していた部屋。この部屋はガラス張りになっていて中には入れません。 9号室のみ当時の状態のまま保存されています。パク・ジョンチョルさんの写真、水拷問に使われた浴槽、取り調べに使われた机があります。いくつか花も手向けられていました。

 みんなで行ってみよう会は随時カカオトークで入会を受け付けています。実際にその場所に行くという体験作りを優先しているので、日韓の歴史の知識がない方も大歓迎です。現在、学部生、大学院生、社会人を含めて全体で34人で活動しています。公式カカオアカウントで、随時活動報告記事を配信していくので、フォローしていただけると嬉しいです。

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