植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会

日韓学生が一緒に植民地時代の記憶の場所をめぐる活動記録。

第9回活動報告∼光復節近現代史ツアー(木浦編)

木浦(モッポ)

三日目は全羅南道、韓国の西端にある木浦に行きました。光州からKTXに乗って35分。木浦は群山と同じく、日本の植民地支配期には中国、日本への輸出港でした。日本人が、3.1独立運動のときには4千6百人、終戦時には二万人ちかく住んでおり、旧日本人街だった市の中心部には日本の古い建物がかなり多く残っています。

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最初に、「近代歴史館」に行きました。木浦に来て驚いたのは、日本語の案内がとても充実していることです。群山の方が観光地化されているのですが、博物館の展示には日本語があまりありませんでした。木浦の博物館には日本語での説明が多くあり、韓国語がわからない日本人が訪れるのにもいいかもしれません。

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博物館の前には少女像がありました。

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お昼ご飯はアンモニアの強烈な匂いで有名なホンオ専門店に行きました。店内はとても独特な匂いがしますが、韓国で一度ホンオにチャレンジしてみたいという方は一度行ってみてください。店主の方がとても親切でした。

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木浦の「近代歴史館」の2館に行きました。2館には植民地時代の写真と、現在の木浦の写真が展示してありました。2館の展示にも日本語があります。

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ちなみに木浦は金大中大統領の出身地としても有名です。時間がなくていけませんでしたが、モクポには「金大中ノーベル平和賞記念館」というものもあります。

 

 

感想

日本人Aさん

 のどかな港町でした。そこにある意味不釣り合いな豪華で堂々とした旧東洋拓殖会社の建物がありましたが、「植民地近代化論」が叫ばれる中、近代的な建物を当時の韓国人はどう見つめたのだろうかと思いました。あれらの建物の豪華さは、ある意味威圧的にも映ったかもしれません。

また、モクポのビーチに着物を着たおそらく日本人数名が写った写真が展示されていたが、

これが日本のビーチでなく韓国の海辺であることを考えると「のどかな海水浴風景」という一言では十分でないかもしれないと感じました。

 

日本人Cさん

 元々「開港場」で、日本人家屋が多く残っているという点では群山と似ているけど、まだそこまで観光地化されておらず、昔の日本の建物がそのまま残っている姿が群山よりも生々しく感じました。

 

日本人Bさん

今回のツアーで、地域の歴史を学ぶ意義を再確認できた。「植民地支配」が行われていたことは、知っているがその具体的な実態はイメージできない日本人が多い。歴史を知らないまま、「慰安婦」や「徴用工」という単語が政治用語としてのみ認識され使用されることが現状である。しかし、そのような日本の状況を憂慮する私自身こそが、植民地支配の構造を論じる際、地域への関心を削いで、歴史問題や植民地支配の歴史を語っていたように思う。地域における具体的な搾取がイメージできなかったためであろう。

地域史を論じるときに重要なことは、地域の固有性を見ることと、それを全体史に位置づける二つの段階を踏むことである。例えば、光州事件を植民地期や現在の民主主義運動と区切って現代史の一場面として捉える学びは、事件の知識を得ることになるが、歴史を学んだことにはならない。そのため、映画作品など光州事件に関する良質なコンテンツは多いが、それは歴史を知るきっかけに過ぎず、歴史的事象の歴史的意義を考えるためには韓国現代史の中に位置づける作業が必要である。一方で、地域史が全体史に飲み込まれず、距離を保つことによって、時に全体史の書き換えを迫る存在になることも重要である。

今回のツアーでは、なんとなく理解していた地域史の概論を、目で見て感じ、もう一度確認し、整理していくような感覚があった。そして、これまでイメージや知識が希薄なまま捉えていた植民地支配や国家暴力の理解から、本質的な理解へ近づくために地域史という視点の有用性を実感できた。

最後にツアーを企画準備して下さった「みん会」のみなさんに感謝したい。ソウルだけで歴史学習を済ませようとしていた私にとって、韓国の地方をまわるスタディーツアーはまさに必要な学びの場であった。今回の旅で学んだことを糧に今後も学びを継続していきたい。

 

 

最後に

以前、北朝鮮から脱北してきた80代くらいの女性が小豆が中に入ったあげ餅のような食べ物を北朝鮮料理だと言ってくださいました。おそらく韓国語で言うと「パットク(팥떡)」という名前だと思うのですが、その女性はそのお餅を「アンコモチ(앙코모찌)」と言っていました。一瞬とても驚きました。このように、韓国で年齢が上の方と話すと、「タマネギ」や「バケツ」など、韓国語ではなく日本語の単語を使っている方が多くいます。これは日帝朝鮮人に日本語を強制した名残です。韓国に住んでいれば群山や木浦の日本家屋だけでなく、日常生活で植民地支配の名残を感じることもあります。でもそれは、歴史を知らないと気づけないことです。

また、韓国は日本よりもデモが活発です。そういうデモを見て、日本人は「怖い」、「過激だ」、「感情的だ」という風に考えることが多いように思われます。しかし、「光州民主化運動」をはじめとする韓国の民主化運動の歴史を知れば、まったく違う風景に見えるのではないでしょうか?

歴史を学ぶと、今をさらに広い視野で、さらに多角的に見ることができるようになります。日本にとっては終戦(敗戦)記念日である8月15日ですが、朝鮮からしてみれば、植民地支配から解放され、光を取り戻した「解放記念日」であるということを私たち日本人が忘れないように、これからも日本人留学生たちが歴史を学ぶ場を作っていきたいと思います。

  

 

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