植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会

日韓学生が一緒に植民地時代の記憶の場所をめぐる活動記録。

第9回活動報告∼光復節近現代史ツアー(光州編)

光州(クァンジュ)

二日目は群山からバスで「光州」に移動しました。 光州は人口約147万人の都市で経済・行政・文化の中心都市として、光州・全羅地域を管轄する官公署と多くの企業の本部と支社などが置かれている湖南地方の中心の役目をしています。光州学生事件、光州事件に象徴される「民主と人権を象徴する都市」としてよく知られている都市です。

光州にお昼ごろに到着し、腹ごしらえをした後、解説して下さる朝鮮大学の이정선(イジョンソン)教授と合流しました。

まず、私たちは5.18民主化運動記録館で光州5.18民主化運動の大まかな流れを教授のわかりやすい解説を聞きながら学びました。

 

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説明を一生懸命聞いている参加者

 

その後、5.18民主広場を通り抜け、旧全南道庁を観光しました。展示の仕方がリアルで当時の緊迫感を肌で感じることができました。ここでは、直接博物館の方が当時の様子、体験談を交えて詳しく解説して下さいました。

 

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戒厳軍に立ち向かう市民を表現した展示

 

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天井から靴がぶら下がっている展示

 

 

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都庁前広場の当時の様子と現在の様子

 

 

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最後まで軍に向かって戦った方々が銃を構えていた待機していた旧都庁内部

 

 

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旧都庁の隣にある当時一番高かったビル。上空でヘリコプターから銃で打たれた傷跡を記したオレンジ色の印が見える。

 

 

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旧都庁前で教授を含めみんなで記念写真

 

 

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光州地元マッコリをいただきました。教授が夕食をおごってくださいました。夕食の席でも参加者のみなさん、教授とともに熱い議論を交わしました。

 

 

感想

日本人Aさん

ここで見たことは「よぞごと」「昔のこと」ととらえないで、現代日本、現代韓国でも起こり得るかもしれないという認識を多くの人がもてるとよいと思った。

 現在、日本のマスメディアの報道の仕方等が話題?になっているので。検閲で赤だらけの新聞は衝撃的であった。

 光州のように「民主」を取り戻すには莫大な犠牲と労力が必要なので、もっとも「民主」を失わないことが大事だと感じた。1度失ってからだと取り戻すのが大変。

 

日本人Bさん

5:18に鳴る時計塔、市内を走るバス番号、道の名前など518の数字を町の至る所で見つけた。光州は主に光州事件を学びに行く目的であったが、現在では事件について様々なコンテンツがあり、韓国人だけでなく多くの人が知る歴史的事件になりつつあるであろう。だからこそ、私にとって光州に行く目的は新しい歴史の学ぶというより、既に知っている事実の確認、そして光州の地が事件とどのように向き合っているかを感じることであった。

 이정선先生の案内で歴史資料館、記念館で見た光州事件の記録は、日帝期の歴史とは違い、映像や写真が記録されていたこともあり詳細で生々しく、当時の殺伐とした状況がまざまざと感じられた。それでも光州の人々が経験した出来事は、沈黙を強いられた事件後も含め、我々が想像し得ない痛みがあるだろう。また、現在も歴史修正主義の攻撃にさらされていること、事実を巡って裁判闘争が続けられていることを踏まえると、光州事件が韓国近代史にとってその位置づけを巡る政治的な思惑の場としても機能しており、未だに事件の完全な解決はできていないことを知った。

しかし同時に、そのような歴史を歪曲する勢力に対抗する市民たちの力を感じられた。記念館の設立や資料を残すことは勿論であるが、特に芸術作品から光州市民がこの事件を記憶し後世に残そうとする意志のようなものを感じた。歴史的事実を示す展示と一緒に、音楽や美術、彫刻などの芸術作品が多く見られ、光州の歴史的意味を普遍的なメッセージへ昇華している。そして、そのメッセージは現在の韓国の民主主義に大きな意義を与えるものであろう。国家暴力の歴史を「戦後〇年」と語り慣れる日本人にとって、解放後35年、今から40年前に起きた事件を韓国の人々にとってどういう意味を持つのか、実際に光州に行き肌で感じられた気がする。

 

韓国人Aさん

実は、私は昨年5月18日に光州に一度訪れたことがあったので今回は2回目の訪問となった。大学での専攻も政治外交ということもあり、光州5.18民主化運動については授業でも触れる機会が多かった。なので、5.18民主化運動について全く知識がないわけではなく、今回の訪問では今までの知識の復習と整理ができた。幸運にも今回特別に、イジョンソン教授の案内付きで5.18民主化運動を学ぶツアーに行くことができた。民主化運動の原因から、民主化運動の広がり、民主化運動後の変化まで始めて光州民主化運動に触れる人も理解できるくらい丁寧にわかりやすく説明して下さった。

光州は、悲しい歴史が刻まれた場所である。40年前の1980年の5月18日、光州事件が起こった。軍事政権下で民主化を求めた学生や市民たちが、自国の軍によって数多く殺されたのだ。その後、軍事政権は光州市民運動を反政府団体に操られた反乱と呼び、光州民主化運動を歪曲して、その隠ぺいを図った。しかし、5.18民主化運動は、悲しい歴史としてだけではなく、新しい希望の出発点にもなった。1980年以後、国家に民主化を呼ぶ動機となっただけでなく、文民政権の誕生にも決定的な役割を果たした。市民の大虐殺の責任を負うべき人々は裁判に掛けられ、彼らの罪は歴史に記録された。また文民政府は、光州の民主化運動が韓国の民主主義の礎であると公式に認め、その日を国家の記念日とした上で、公式にこの運動の再評価を行った。

今回のツアーでは光州民主化運動の新しい一面を知ることができた。5.18民主化運動記録館にある展示コーナーの中で民主化運動の中での女性の役割にフォーカスを当てた展示が印象的だった。教授の説明によると、5.18民主化運動というと政府の戒厳軍に対して戦った男性市民軍をイメージする傾向があるが、女性も民主化運動を率いた重要な存在だ。地域合同体として女性が協力しながら必要な日用品から食料、炊き出しなどを行い民主化運動の持続のために大きな役割を果たしたことは有名だ。これ以外にも実際に鎮圧作戦に投入され女性や、街頭に出てデモに参加した女性も多く存在した。さらに、光州YWCAが中心となり、献血、募金、町内放送、広報活動を女性が積極的に行った。一方で、民主化運動当時起こった女性に対する戒厳軍による性暴力被害などの真相究明はまだまだらしい。また、光州民主化運動を記憶する中で女性の炊き出し活動など男性を補助する側として見られる傾向もいまだに強く、女性の多様な役割や活躍がこれからはもっと注目されるべきだ。

40年過ぎた今現在、私たちは1980年5月の光州民主化運動当時の状況と真実を全国に広め、この精神を受け継ぐ努力をしていかなければならない。韓国では大統領が変わるたびに、その政府がどうのような政治的傾向が強いのかに応じて政策がかなり違ってくる。光州民主化運動が水面上に浮かび上がるまで時間がかかったのも長引く軍事政権の影響があった。まだ光州民主化運動には真相究明しなければならないことが多く残っている。私たちが光州民主化運動を正しく記憶し、真相究明するためには政権に左右されない一貫した解決に向けた政府の政策、市民の努力が欠かせない。

 

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