植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会

日韓学生が一緒に植民地時代の記憶の場所をめぐる活動記録。

第11回活動報告~独立記念館(天安)

今回の活動では、天安にある独立記念館を訪問しました。

 

地下鉄1号線の特急に乗り、さらにバスに乗って2時間という長い道のりにも関わらず、一緒に行きたいという人が4人もいることに感謝しながら忠清道天安の記念館へ。

 

 

独立記念館は日本の植民地支配や独立運動の歴史などが展示されている記念館です。記念館の入り口から展示室まで徒歩10分ほどかかるという広大な敷地に展示館が7つと、すべて見ようと思ったら1日は必要です。

 

時間が限られていたため、今回は日本語解説を申請し、「日本による植民地化の過程」「1910年代の武断統治」「3・1独立運動」について学びました。

解説に集中…

 

以下は参加してくれた方の感想です。

 

Aさん:

ソウルの汝矣島よりも広い広大な敷地に、すべて見るには丸一日かかりそうなほどの展示が展開されており、その規模にまず驚き、この記念館の設立の意義に思いを馳せました。

主要展示館が7つに分かれている中、第4展示館は三一独立運動にまつわる展示のみで構成されており印象的でした。
韓国の歴史上初めて国民を主とした「大韓民国」を樹立し、朝鮮人が自由民であることを宣言した独立宣言についてじっくりと説明していただけたこのが記憶に残りました。
単に独立運動としてだけではなく、民族解放運動の画期として世界史的にも大きな意義を持った三一運動について学びを深めたいと思いました。

 

 

Bさん:

独立記念館には4年前に一度行ったことがありました。その時はまだ韓国語ができず、理解できなかった部分も多かったのですが、今回は日本語解説もあり、さらに深い観覧ができました。

 

3・1運動が勃発した当初、「31独立宣言書」が配布されたが、視覚的にわかりやすく象徴的な「太極旗」が使われるようになったため、「太極旗」は単純に国旗ではなく、植民地からの独立の意味も持っていたという話が興味ぶかかったです。

 

 

観覧終了後には、独立記念館の先生とお茶をしながらおしゃべり、天安で美味しいものを食べてソウルにもどりました。

 

 

独立記念館ホームページ:https://i815.or.kr/

日本語解説申請ページ:https://i815.or.kr/2018/tour/explain.do

ネイバー地図:https://naver.me/Fv74JvAB

 

第11回担当:小佐野百合香

第10回活動報告〜植民地歴史博物館&イサンホ作家展示

今回の活動では植民地歴史博物館を訪問しました。植民地歴史博物館は、2018年に日韓市民の力で建てられた博物館で、日本の朝鮮侵略と植民地支配の歴史、1945年以降の韓国での親日清算の問題、日韓市民の連帯の歴史を中心に展示をしている博物館です。

 

今だけイ・サンホさんという民衆美術画家の先生が展示を行っていて、直接展示解説をしてくださるということだったのでみん会で訪問してみました。

 

【植民地歴史博物館について】
2018年8月29日に日韓市民の寄付によって建てられた博物館。日本の朝鮮に対する侵略の歴史、植民地支配下での朝鮮人の暮らしや強制動員被害、親日派の問題、戦後の日韓連帯運動の歴史などを豊富な史料をもとに、幅広く展示している。

 

【イサンホ作家について】
1960年に光州で生まれる。1982年に光州にある朝鮮大学校の絵画科に通い、民主化運動の宣伝用の絵やポスターを制作し、独裁政権と闘う。国家保安法違反として逮捕され、ひどい拷問を受けた経験から精神病院を30年以上入退院を繰り返すほどの精神的被害を受ける。しかし、その後も韓国の民主化や統一のための絵画を描きつづけ、現在も光州で画家として活動中。

 

イサンホ作家さんと一緒に

展示を見ているメンバー

イサンホ先生


日本人Aさん:韓国にある歴史に関する博物館に行ったことがなかったので、新鮮で大変勉強になりました!また、イサンホ先生から直接解説を聞くことができたのもとても貴重な経験となりました。今後も韓国にいる間色々な博物館を訪ねて勉強していきたいと思いました。

 

日本人Bさん:イサンホさんの光州の絵を見て涙が出てきました。実際に拷問をうけた被害者の方を前にして、いままで韓国の民主化運動をかっこいいと思っていた私が、韓国の民主化運動を消費していたのではないかと思いました。直接解説を聞けて良かったです。ありがとうございました。

 

韓国人Aさん:先日は本当にありがとうございました!植民地歴史博物館に行ったことは何度かありましたが、詳しい説明のおかげで一層理解が深まった気がします。打ち上げの際にも皆さんと沢山話せて久々に大学生の時に戻った気分になって懐かしかったです。またこういう機会があったら是非参加したいと思いました。ここでできた縁を大事にしていきたいです。

 

韓国人Bさん:正直、見る前まではただ政治的・社会的な意識が投影された作品が展示されているのだろうと思っていた。ところが、実際に展示を見てみると、ひとつひとつのクオリティに非常に驚いた。極度に精巧な版画ととても卓越した絵が(もちろん政治

・社会的な意識が強く含まれている)…予想よりもずっと優れた作品と出会うことのできた展示だった。とても執拗に力を注いで描いた作品たちでとても感動した。他の人たちにもぜひ見てほしい。

 

次は、西大門刑務所と独立記念館に行こうと思います。

 

第10回担当:小佐野百合香

第9回活動報告∼光復節近現代史ツアー(木浦編)

木浦(モッポ)

三日目は全羅南道、韓国の西端にある木浦に行きました。光州からKTXに乗って35分。木浦は群山と同じく、日本の植民地支配期には中国、日本への輸出港でした。日本人が、3.1独立運動のときには4千6百人、終戦時には二万人ちかく住んでおり、旧日本人街だった市の中心部には日本の古い建物がかなり多く残っています。

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最初に、「近代歴史館」に行きました。木浦に来て驚いたのは、日本語の案内がとても充実していることです。群山の方が観光地化されているのですが、博物館の展示には日本語があまりありませんでした。木浦の博物館には日本語での説明が多くあり、韓国語がわからない日本人が訪れるのにもいいかもしれません。

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博物館の前には少女像がありました。

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お昼ご飯はアンモニアの強烈な匂いで有名なホンオ専門店に行きました。店内はとても独特な匂いがしますが、韓国で一度ホンオにチャレンジしてみたいという方は一度行ってみてください。店主の方がとても親切でした。

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木浦の「近代歴史館」の2館に行きました。2館には植民地時代の写真と、現在の木浦の写真が展示してありました。2館の展示にも日本語があります。

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ちなみに木浦は金大中大統領の出身地としても有名です。時間がなくていけませんでしたが、モクポには「金大中ノーベル平和賞記念館」というものもあります。

 

 

感想

日本人Aさん

 のどかな港町でした。そこにある意味不釣り合いな豪華で堂々とした旧東洋拓殖会社の建物がありましたが、「植民地近代化論」が叫ばれる中、近代的な建物を当時の韓国人はどう見つめたのだろうかと思いました。あれらの建物の豪華さは、ある意味威圧的にも映ったかもしれません。

また、モクポのビーチに着物を着たおそらく日本人数名が写った写真が展示されていたが、

これが日本のビーチでなく韓国の海辺であることを考えると「のどかな海水浴風景」という一言では十分でないかもしれないと感じました。

 

日本人Cさん

 元々「開港場」で、日本人家屋が多く残っているという点では群山と似ているけど、まだそこまで観光地化されておらず、昔の日本の建物がそのまま残っている姿が群山よりも生々しく感じました。

 

日本人Bさん

今回のツアーで、地域の歴史を学ぶ意義を再確認できた。「植民地支配」が行われていたことは、知っているがその具体的な実態はイメージできない日本人が多い。歴史を知らないまま、「慰安婦」や「徴用工」という単語が政治用語としてのみ認識され使用されることが現状である。しかし、そのような日本の状況を憂慮する私自身こそが、植民地支配の構造を論じる際、地域への関心を削いで、歴史問題や植民地支配の歴史を語っていたように思う。地域における具体的な搾取がイメージできなかったためであろう。

地域史を論じるときに重要なことは、地域の固有性を見ることと、それを全体史に位置づける二つの段階を踏むことである。例えば、光州事件を植民地期や現在の民主主義運動と区切って現代史の一場面として捉える学びは、事件の知識を得ることになるが、歴史を学んだことにはならない。そのため、映画作品など光州事件に関する良質なコンテンツは多いが、それは歴史を知るきっかけに過ぎず、歴史的事象の歴史的意義を考えるためには韓国現代史の中に位置づける作業が必要である。一方で、地域史が全体史に飲み込まれず、距離を保つことによって、時に全体史の書き換えを迫る存在になることも重要である。

今回のツアーでは、なんとなく理解していた地域史の概論を、目で見て感じ、もう一度確認し、整理していくような感覚があった。そして、これまでイメージや知識が希薄なまま捉えていた植民地支配や国家暴力の理解から、本質的な理解へ近づくために地域史という視点の有用性を実感できた。

最後にツアーを企画準備して下さった「みん会」のみなさんに感謝したい。ソウルだけで歴史学習を済ませようとしていた私にとって、韓国の地方をまわるスタディーツアーはまさに必要な学びの場であった。今回の旅で学んだことを糧に今後も学びを継続していきたい。

 

 

最後に

以前、北朝鮮から脱北してきた80代くらいの女性が小豆が中に入ったあげ餅のような食べ物を北朝鮮料理だと言ってくださいました。おそらく韓国語で言うと「パットク(팥떡)」という名前だと思うのですが、その女性はそのお餅を「アンコモチ(앙코모찌)」と言っていました。一瞬とても驚きました。このように、韓国で年齢が上の方と話すと、「タマネギ」や「バケツ」など、韓国語ではなく日本語の単語を使っている方が多くいます。これは日帝朝鮮人に日本語を強制した名残です。韓国に住んでいれば群山や木浦の日本家屋だけでなく、日常生活で植民地支配の名残を感じることもあります。でもそれは、歴史を知らないと気づけないことです。

また、韓国は日本よりもデモが活発です。そういうデモを見て、日本人は「怖い」、「過激だ」、「感情的だ」という風に考えることが多いように思われます。しかし、「光州民主化運動」をはじめとする韓国の民主化運動の歴史を知れば、まったく違う風景に見えるのではないでしょうか?

歴史を学ぶと、今をさらに広い視野で、さらに多角的に見ることができるようになります。日本にとっては終戦(敗戦)記念日である8月15日ですが、朝鮮からしてみれば、植民地支配から解放され、光を取り戻した「解放記念日」であるということを私たち日本人が忘れないように、これからも日本人留学生たちが歴史を学ぶ場を作っていきたいと思います。

  

 

前回

 

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第9回活動報告∼光復節近現代史ツアー(光州編)

光州(クァンジュ)

二日目は群山からバスで「光州」に移動しました。 光州は人口約147万人の都市で経済・行政・文化の中心都市として、光州・全羅地域を管轄する官公署と多くの企業の本部と支社などが置かれている湖南地方の中心の役目をしています。光州学生事件、光州事件に象徴される「民主と人権を象徴する都市」としてよく知られている都市です。

光州にお昼ごろに到着し、腹ごしらえをした後、解説して下さる朝鮮大学の이정선(イジョンソン)教授と合流しました。

まず、私たちは5.18民主化運動記録館で光州5.18民主化運動の大まかな流れを教授のわかりやすい解説を聞きながら学びました。

 

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説明を一生懸命聞いている参加者

 

その後、5.18民主広場を通り抜け、旧全南道庁を観光しました。展示の仕方がリアルで当時の緊迫感を肌で感じることができました。ここでは、直接博物館の方が当時の様子、体験談を交えて詳しく解説して下さいました。

 

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戒厳軍に立ち向かう市民を表現した展示

 

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天井から靴がぶら下がっている展示

 

 

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都庁前広場の当時の様子と現在の様子

 

 

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最後まで軍に向かって戦った方々が銃を構えていた待機していた旧都庁内部

 

 

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旧都庁の隣にある当時一番高かったビル。上空でヘリコプターから銃で打たれた傷跡を記したオレンジ色の印が見える。

 

 

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旧都庁前で教授を含めみんなで記念写真

 

 

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光州地元マッコリをいただきました。教授が夕食をおごってくださいました。夕食の席でも参加者のみなさん、教授とともに熱い議論を交わしました。

 

 

感想

日本人Aさん

ここで見たことは「よぞごと」「昔のこと」ととらえないで、現代日本、現代韓国でも起こり得るかもしれないという認識を多くの人がもてるとよいと思った。

 現在、日本のマスメディアの報道の仕方等が話題?になっているので。検閲で赤だらけの新聞は衝撃的であった。

 光州のように「民主」を取り戻すには莫大な犠牲と労力が必要なので、もっとも「民主」を失わないことが大事だと感じた。1度失ってからだと取り戻すのが大変。

 

日本人Bさん

5:18に鳴る時計塔、市内を走るバス番号、道の名前など518の数字を町の至る所で見つけた。光州は主に光州事件を学びに行く目的であったが、現在では事件について様々なコンテンツがあり、韓国人だけでなく多くの人が知る歴史的事件になりつつあるであろう。だからこそ、私にとって光州に行く目的は新しい歴史の学ぶというより、既に知っている事実の確認、そして光州の地が事件とどのように向き合っているかを感じることであった。

 이정선先生の案内で歴史資料館、記念館で見た光州事件の記録は、日帝期の歴史とは違い、映像や写真が記録されていたこともあり詳細で生々しく、当時の殺伐とした状況がまざまざと感じられた。それでも光州の人々が経験した出来事は、沈黙を強いられた事件後も含め、我々が想像し得ない痛みがあるだろう。また、現在も歴史修正主義の攻撃にさらされていること、事実を巡って裁判闘争が続けられていることを踏まえると、光州事件が韓国近代史にとってその位置づけを巡る政治的な思惑の場としても機能しており、未だに事件の完全な解決はできていないことを知った。

しかし同時に、そのような歴史を歪曲する勢力に対抗する市民たちの力を感じられた。記念館の設立や資料を残すことは勿論であるが、特に芸術作品から光州市民がこの事件を記憶し後世に残そうとする意志のようなものを感じた。歴史的事実を示す展示と一緒に、音楽や美術、彫刻などの芸術作品が多く見られ、光州の歴史的意味を普遍的なメッセージへ昇華している。そして、そのメッセージは現在の韓国の民主主義に大きな意義を与えるものであろう。国家暴力の歴史を「戦後〇年」と語り慣れる日本人にとって、解放後35年、今から40年前に起きた事件を韓国の人々にとってどういう意味を持つのか、実際に光州に行き肌で感じられた気がする。

 

韓国人Aさん

実は、私は昨年5月18日に光州に一度訪れたことがあったので今回は2回目の訪問となった。大学での専攻も政治外交ということもあり、光州5.18民主化運動については授業でも触れる機会が多かった。なので、5.18民主化運動について全く知識がないわけではなく、今回の訪問では今までの知識の復習と整理ができた。幸運にも今回特別に、イジョンソン教授の案内付きで5.18民主化運動を学ぶツアーに行くことができた。民主化運動の原因から、民主化運動の広がり、民主化運動後の変化まで始めて光州民主化運動に触れる人も理解できるくらい丁寧にわかりやすく説明して下さった。

光州は、悲しい歴史が刻まれた場所である。40年前の1980年の5月18日、光州事件が起こった。軍事政権下で民主化を求めた学生や市民たちが、自国の軍によって数多く殺されたのだ。その後、軍事政権は光州市民運動を反政府団体に操られた反乱と呼び、光州民主化運動を歪曲して、その隠ぺいを図った。しかし、5.18民主化運動は、悲しい歴史としてだけではなく、新しい希望の出発点にもなった。1980年以後、国家に民主化を呼ぶ動機となっただけでなく、文民政権の誕生にも決定的な役割を果たした。市民の大虐殺の責任を負うべき人々は裁判に掛けられ、彼らの罪は歴史に記録された。また文民政府は、光州の民主化運動が韓国の民主主義の礎であると公式に認め、その日を国家の記念日とした上で、公式にこの運動の再評価を行った。

今回のツアーでは光州民主化運動の新しい一面を知ることができた。5.18民主化運動記録館にある展示コーナーの中で民主化運動の中での女性の役割にフォーカスを当てた展示が印象的だった。教授の説明によると、5.18民主化運動というと政府の戒厳軍に対して戦った男性市民軍をイメージする傾向があるが、女性も民主化運動を率いた重要な存在だ。地域合同体として女性が協力しながら必要な日用品から食料、炊き出しなどを行い民主化運動の持続のために大きな役割を果たしたことは有名だ。これ以外にも実際に鎮圧作戦に投入され女性や、街頭に出てデモに参加した女性も多く存在した。さらに、光州YWCAが中心となり、献血、募金、町内放送、広報活動を女性が積極的に行った。一方で、民主化運動当時起こった女性に対する戒厳軍による性暴力被害などの真相究明はまだまだらしい。また、光州民主化運動を記憶する中で女性の炊き出し活動など男性を補助する側として見られる傾向もいまだに強く、女性の多様な役割や活躍がこれからはもっと注目されるべきだ。

40年過ぎた今現在、私たちは1980年5月の光州民主化運動当時の状況と真実を全国に広め、この精神を受け継ぐ努力をしていかなければならない。韓国では大統領が変わるたびに、その政府がどうのような政治的傾向が強いのかに応じて政策がかなり違ってくる。光州民主化運動が水面上に浮かび上がるまで時間がかかったのも長引く軍事政権の影響があった。まだ光州民主化運動には真相究明しなければならないことが多く残っている。私たちが光州民主化運動を正しく記憶し、真相究明するためには政権に左右されない一貫した解決に向けた政府の政策、市民の努力が欠かせない。

 

前回

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続き

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第9回活動報告∼光復節近現代史ツアー(群山編)

現在、私たちはソウルで植民地時代を考える「みんなで行ってみよう会」(略してみん会)という活動を行なっています。植民地の記憶の場所に日韓学生が足を運び、感想を共有します。

2020年夏休み特別企画として、8月15日の光復節に合わせ、8月14日から8月16日まで2泊3日の群山・光州・木浦近現代史ツアーに行ってきました。参加者は運営陣2人を含め総勢6人でした。韓国の近現代史を学ぶため群山(グンサン)と木浦(モクポ)にある日帝植民地時代、光州(クァンジュ)にある5.18民主化運動関連の場所を直接訪れました。

 

旅行スケジュール

【8/14】

7:27に무궁화号乗車 용산駅⇒군산駅

10:45に群山到着

群山観光

訪問場所:群山近代歴史博物館、近代美術館、近代建築館、東国寺

群山の宿(日本式ゲストハウス)

 

【8/15】

10:00にバス乗車 군산시외버스터미널⇒광주종합버스터미널

12:00に光州到着

이정선教授と合流し光州観光

訪問場所:5.18民主化運動記録館、5.18民主広場、旧全南道庁、旧商務官

光州の宿

 

【8/16】

光州観光組と木浦観光組に分かれる

光州観光組

訪問場所:5.18自由公園、楊林歴史文化マウル

木浦観光組

訪問場所:木浦近代歴史館1館、2館

16:39にKTX乗車 광주송정駅⇒용산駅

18:32に到着、解散

 

 

群山(グンサン)

1日目は、韓国近代の貿易港「群山」に行きました。

群山は全羅北道にある海岸に面した地域であり、日本人家屋が多く残っているため近代史の姿を見れる場所としても韓国人が多く訪れる地域です。ソウルからはムクンファ号に乗って3時間ほどで行けます。

 

群山市は1899年に開港し、外国人居留地域が形成されました。外国人の大多数が日本人であり、1899 年に開港された群山市は湖南平野の米の積出港として急速に発展しました。開港当時の群山の人口は約 500 名でしたが、日本人が中心になって群山の町や港などを開発するようになりました。日本の植民地政策により、日本人が地主として定着し、全北地方で生産される「米」を日本の食糧不足に補充するようになりました。したがって、群山をはじめ、全北地方には日本人が経営する農場が集中しました。群山市には約 2,000 軒の日本家屋がみられ、中心部に日本人街を形成しました。(引用:https://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/report_pdf/2010c/25_nh22.pdf

 

このような歴史から、群山には今も多くの日本家屋が残っており、そのような日本家屋は「敵産家屋」と呼ばれ、観光地となっています。

 

7時27分にムクンファ号に乗車し、10時45分に群山到着しました。

 

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まずは腹ごしらえ。あさりカルグクスが絶品でした。

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最初は「群山近代歴史博物館」を訪問しました。

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外観

 

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館内



 

 

群山の独立運動家の展示を一生懸命見る参加者。

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1930年代の群山がリアルに再現された展示。日本を感じさせる時代劇のセットのような風景…ここが朝鮮であるということにとても暴力性を感じました。

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こんな撮影コーナーもあります。 

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近代歴史博物館のすぐ横にある、近代美術館と近代建築館に行きました。

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その後は近代美術館で近現代関連の写真を鑑賞。当時の慰安所の写真もありました。

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近代建築館では、当時の銀行や学校、日本人家屋やお寺の写真や模型を見ることができます。

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ちょうど夕食の時間になったので、トッカルビを食べました。トッカルビはもちろんおかずも美味しく、おかずでお腹がいっぱいになりそうなくらいたっぷり。

 

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宿は日本式のゲストハウス。

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カフェでみんなでお話をしたのち、

日本の大学の院生の方が、昔の遊郭の建物を探したり、韓国に唯一残っている日本式のお寺(お寺の近くに近代史関連の博物館があったのを発見)を見物しました。

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感想

日本人Aさん

日本の街並みが残って韓国人の観光地となっているが、ある意味残酷な風景かもしれません。しかし植民地時代が残した遺産を観光活用するうえでも、まずはその歴史をきちんと伝えようとする博物館展示だったので良かったです。

 

日本人Bさん

群山に行く前、インターネットで群山について少し調べていました。日本語の観光サイトには日本式家屋が多く残っていることから「日本とゆかりある地域」と紹介されており、「植民地」や「収奪」などの歴史用語は殆ど見受けられませんでした。その一方、韓国語のサイトや歴史に関心のある人のブログでは、群山が支配の遺産を観光化しており歴史を軽視している、という否定的な意見が見受けられました。

このような植民地支配による遺産をどのように扱うか、様々なところで議論になる問題です。過去には日本の総督府の建て壊しを巡る議論や、植民地時代に建設された鉄道や工場などの産業建設が宗主国の偉業といて植民地支配を正当化する論理に使われたり、逆に産業建設を利用することを否定し植民地支配の歴史を忘却することであるとの意見などが挙げられます。遺産が植民地支配を肯定するか否か、議論が二極化している印象を受けます。そして、そのどちらの議論も地域住民より外部の人間が強く意見しており、住民の視点がないことにもやもやしていました。

 しかし、群山に実際に行きそのもやもやを言語化できた気がします。群山は想像以上に日本の家屋が残っており、観光化していました。カフェや宿泊したゲストハウスも日本家屋をリノベーションしたものであり、「敵産」を活用し町全体が観光戦略としてモダンでノスタルジックな演出をつくりあげているのでしょう。しかし、だからと言って「植民地支配の歴史を肯定的なものに塗り替えている」とは思いませんでした。町を歩けば、植民地支配の暴力と搾取の痛みを表現するモニュメントや壁画もたくさんあり、地域の歴史博物館では、植民地時期に展示を多く割き、植民地収奪における群山の地理的役割、搾取の実態や、住民たちの抵抗を具体的な史料を示しながら展示しており、興味深い内容であった。地域住民の話は聞けていないので分からないが、遺産は利用しつつ、植民地支配の歴史は全体史と結びつけながらきちん郡山の固有の歴史として記憶し継承していく意思を垣間見ました。

 外部の人間が、遺産を今なお利用していることを理由に植民地支配を正当化、望郷化するのは論外であるが、「観光化したから歴史を軽視している」という一面的な地域に対する評価もナンセンスであろう。勝手に作って勝手に置いていった遺産をどうしようかは、そこに住む地域住民が決定すべきことです。もちろん、地域内での意見の対立はあるだろうが、少なくとも外部が見高に評価するものではないでしょう。

 ただ、やはり特に日本人観光客にとっては、意識をしなければ観光サイトにあるように「日本とゆかりのある地域」、もしくは「日本の支配によって近代化した地域」としてでしか、郡山を捉えられないのかもしれません。歴史博物館に行かなくても旅行は楽しめるし、壁画やモニュメントは意味を理解するのは予備知識が必要でしょう。日本人観光客が群山を植民地収奪の象徴的な地域として認識できるか疑問です。ただ、このような課題はもちろん郡山にあるのではなく、日本社会の課題なので、今後も考えていきたいです。

 

日本人Cさん

私もBさんと同じく、旅行の前に日本の観光サイトで「群山」について調べていました。しかし、「日本と関連の深い街」、「米の貿易港として栄えた町」というように、日本の略奪を反省するような感じで書いてあるサイトがほとんど見つからず驚きました。

しっかり学んで帰ろうと意気込んで行ったのですが、やはり日本人が観光して群山に残る支配や収奪の歴史を学ぶのは難しいという印象でした。博物館などに日本語の説明も少ないですし、日本語の観光ガイドなどもありません。そこらへんは光州の方ががっつり外国語の冊子もあり、外国語で案内できる案内員の方もいたり、しっかりしてました。

行って学ぼうというのは無理だなと思い、これからそういうコンテンツが増やしていけたらいいなと感じました。そしてそれはもちろん、韓国人がやるべきことではなく、日本人がやるべきことだと思います。

 

 

続き

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みんなで行ってみよう会とは?

 正式名称「植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会」(略してみん会)は、2019年3月にソウルで結成した日韓学生会です。日韓学生が共に植民地の歴史の記憶の場所に足を運び、感想を共有する活動を行っています。当初「日本人1人だと心細くていけないところに行ってみよう」をモットーに結成されましたが、現在は日本人学生の他に、多くの韓国人学生が参加しています。

 みん会はソウルを中心に活動しており、主にソウル・京畿道にある日本の植民地時代に関する場所やセミナーに足を運びます。私たちは、”その場に足を運ぶ”という体験作りに活動の重心を置いており、みん会は既存の討論会や勉強会とは全く性格の異なる活動です。そのため、日韓の歴史について全く知識がない方でも、楽しみながら学べる内容となっています。活動の様子は本ブログに掲載していますのでぜひ、目を通してみてください。

 みん会は、随時メンバーを募集しています。質問や入会希望は、公式カカオトークのチャット機能で受け付けています。気軽にご連絡ください。

植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会詳細

  • 略称:みん会
  • 活動頻度:学期中は月2回、休み期間中は随時企画を実施。
  • 活動内容 :植民地時代に関連した施設を見学し、感想を共有する。
  • 活動場所 : 主にソウル周辺
  • 日程:基本的に土日
  • 公用語:日本語(日本語が話せる韓国人の方も入会可能)

 

みん会創立者のインタビュー(2020年8月15日ソウル新聞掲載)
m.seoul.co.kr

 

第8回活動報告〜ナヌムの家(後編)

 今回のみん会では、ナヌムの家を訪問しました。ナヌムの家は 太平洋戦争末期、日本帝国により性的犠牲を強いられた生存日本軍’慰安婦‘ハルモニ(おばあさん)たちが集まって暮らしている生活の基盤です。<ナヌムの家>に住んでいる日本軍’慰安婦‘ハルモニたちは毎週ハングルの授業と共に絵画授業を通して学んだ絵で、数回にわたり韓国内外での絵画の展示会を開催しています。そのことで過去の日帝の日本軍‘慰安婦’に対する蛮行の真相を歴史に残していく活動をしています。

<ナヌムの家>は日本軍’慰安婦’歴史館を通じて長く子孫に日本軍’慰安婦‘被害者問題に対する正しい歴史観を確立するために率先している歴史館の一つです。現在、生存されている方は39人、ナヌムの家には10人のハルモ二が住んでおられます。(2017年3月現在)

今回は運が良く、特別に3名のハルモニと直接会ってお話を聞いた後、歴史館で解説を聞き、みんなで意見を共有しました。

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個人感想共有後のフリートーク

 

Dさん

慰安婦問題いつも考える時に思うんですけど、戦争のときはどの国もこういう問題は正直あったじゃないですか、今現在揉めているのは日本と韓国ぐらい?あんまり他の国の話を聞いてなくて、他の国はどうやって和解したのかなって思って…。

 

Fさん

ボスニア内戦とかまだ解決してないんじゃないですかね。

 

Aさん

似たような話を戦争と女性の博物館を訪問した回でしたんですけど、結局分からずじまいでした。台湾も韓国も日本が植民地化した場所なんですけど、台湾は親日っていうのがあるじゃないですか。でも韓国と日本が結構バチバチするじゃないですか。それなんでなのかなと思って慰安婦問題も含めてなんでそうなるんだろうという意見が出てました。

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姜日出(강일출) ハルモニと


Gさん

台湾は中国共産党政権のほうがもっとひどかったからっていう影響が強いよね。

 

Dさん

大陸の中国という敵がいるから日本を叩かなくてもいいみたいなそういう考えがあったかも。

 

Bさん

台湾と韓国の違いについて授業をとってたんですけど、韓国って戦後に親日派を政治の面から追い出したじゃないですか、でも台湾では植民地時代に活躍した政治家たちをそのまま登用したそうなんです。日本で植民地時代働いてたからお前は出てけみたいな感じじゃなくて、韓国はそうしたけど、台湾は技術もあるしということでそのまま残して台湾ができたっていうこともあって、その戦後の対応の違いっていうのがあるのかなと思います。親日派をどれだけ追い払うと言うかそういう意識的な面で。

 

Eさん

私も学校で習ったのがあって、慰安婦じゃないんですけど、うろ覚えで申し訳ないんですけど、ドイツと日本を比べた論文で、ドイツが結構ある程度解決しているっていう観点から書かれていたんですけど、置かれている国際的な状況とか政府がとってる立場っていうのがだいぶ違うという内容が書かれてて、政府としての植民地の定義、そこから違うっていうのがあって、色々絡んでくるのかなって個人的に思いました。

 

Bさん

私もドイツのこと気になって調べたんですけど、日本政府の公式的な立場としては韓国はドイツの真似て日本も謝罪しろっていう主張結構するじゃないですが、でも外務省のホームページに載ってるんですよ、ドイツとは国際的な状況が違ったので我々はそのドイツとは違った方向で戦後補償をしているつもりですという見解が載っているんですけど、それもなんかおかしいなって思って私も別の論文を読んでみたんですけど、ドイツはその当時戦後すぐ東西に別れちゃったじゃないですか、だからこの確立した統一された政府として戦後補償ができなかったから、個人個人に賠償するっていう形でなったんですけど、日本はもう一個であったからそういう状況も違ったんだなっていうことを読みました。

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解説を聞く様子


Cさん

ドイツの場合は王政でもなくてヒトラーが一番最高責任者みたいな感じで、はっきり言ってヒトラーナチスドイツ国民にとっても敵であり、世界全体からというか主にドイツに侵略された国からも敵であり、そこを片付ければ一応賠償とかは別として、国として責任を取るべきものはそれで終わる。でも日本の場合は一応を憲法上は当時は天皇が最高責任者だったから多分それに従っていたら天皇が責任を取るべきだっていう風になると思うんですけど、日本の場合は結局天皇を残すっていうように日本が決めたのかGHQが決めたのか微妙ですけど、天皇を残すということになって、やっぱりそこがドイツと日本が全然違う面かなと。戦犯、A級戦犯の人で処刑された人たちがいるけど、最高責任者である天皇は処罰されてないし、靖国の問題も今の日韓だと揉めていることなんですけど、靖国神社に戦争責任者が祀られていてしかも政府の人たちが今そこに参拝するとなると問題になるというのもやっぱり、天皇がいなくなればいいという所までは行かないんですけど、天皇が残ってること自体、国としての制度自体が引きずっている根幹なのかなって思うこともあります。

 

Gさん

慰安婦天皇から送られた贈り物という展示もあったしね。

 

Cさん

日本も太平洋戦争を通して犠牲者がいっぱい出たわけだけど、日本の教育制度の下では天皇じゃなくて戦争の責任は軍部の暴走にある、天皇は止められないかわいそうな立場だったという感じで習うけど、韓国人は日本にとって最高責任者だった天皇をなぜ責任者だと思わないのかって聞かれたことがあって、それも何か言われてみれば全然そういう風に思わなかったけど、それも日本の教育を通して天皇の責任にするという考え方にならないように教育されてきてる、戦後ずっとこう教育されてきているからそういう考える社会として天皇が責任者だっていう考え方が出てこない。ここで日本と韓国で全然考え方が違うように社会が作られてきてて、慰安婦の問題とかも含めて戦争とか天皇とかそういう話になった時は国として考え方が違うように作れて来ているから、そういうところから本当は考えていかないと、簡単に賠償すれば済むという問題ではないかなって思います。

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歴史館の裏には亡くなれたハルモニのお墓とその隣には訪問客が残したメッセージがあります。


 

皆さん気づきが多い一日だったようで感想共有を活発にしてくれました。慰安婦問題の他にも、戦争責任の話や、天皇制の話、日本と台湾やドイツとの違いなど様々な方向に話が広がりました。今回は特に3人のハルモニたちの話を直接聞けたというのがかなり意味あることでした。今まで韓国内外で活発に活動をされているハルモニの方々にお会いできたことに本当に感謝です。「あとは若い人に任せるよ」ハルモニが私たちに残した言葉です。慰安婦問題を正しく理解し、周囲に広め、解決方法を模索していく責任が私たちに残されていることを忘れてはいけないと改めて思いました。

 

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