植民地の記憶の場所にみんなで行ってみよう会

日韓学生が一緒に植民地時代の記憶の場所をめぐる活動記録。

第9回活動報告∼光復節近現代史ツアー(群山編)

現在、私たちはソウルで植民地時代を考える「みんなで行ってみよう会」(略してみん会)という活動を行なっています。植民地の記憶の場所に日韓学生が足を運び、感想を共有します。

2020年夏休み特別企画として、8月15日の光復節に合わせ、8月14日から8月16日まで2泊3日の群山・光州・木浦近現代史ツアーに行ってきました。参加者は運営陣2人を含め総勢6人でした。韓国の近現代史を学ぶため群山(グンサン)と木浦(モクポ)にある日帝植民地時代、光州(クァンジュ)にある5.18民主化運動関連の場所を直接訪れました。

 

旅行スケジュール

【8/14】

7:27に무궁화号乗車 용산駅⇒군산駅

10:45に群山到着

群山観光

訪問場所:群山近代歴史博物館、近代美術館、近代建築館、東国寺

群山の宿(日本式ゲストハウス)

 

【8/15】

10:00にバス乗車 군산시외버스터미널⇒광주종합버스터미널

12:00に光州到着

이정선教授と合流し光州観光

訪問場所:5.18民主化運動記録館、5.18民主広場、旧全南道庁、旧商務官

光州の宿

 

【8/16】

光州観光組と木浦観光組に分かれる

光州観光組

訪問場所:5.18自由公園、楊林歴史文化マウル

木浦観光組

訪問場所:木浦近代歴史館1館、2館

16:39にKTX乗車 광주송정駅⇒용산駅

18:32に到着、解散

 

 

群山(グンサン)

1日目は、韓国近代の貿易港「群山」に行きました。

群山は全羅北道にある海岸に面した地域であり、日本人家屋が多く残っているため近代史の姿を見れる場所としても韓国人が多く訪れる地域です。ソウルからはムクンファ号に乗って3時間ほどで行けます。

 

群山市は1899年に開港し、外国人居留地域が形成されました。外国人の大多数が日本人であり、1899 年に開港された群山市は湖南平野の米の積出港として急速に発展しました。開港当時の群山の人口は約 500 名でしたが、日本人が中心になって群山の町や港などを開発するようになりました。日本の植民地政策により、日本人が地主として定着し、全北地方で生産される「米」を日本の食糧不足に補充するようになりました。したがって、群山をはじめ、全北地方には日本人が経営する農場が集中しました。群山市には約 2,000 軒の日本家屋がみられ、中心部に日本人街を形成しました。(引用:https://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/report_pdf/2010c/25_nh22.pdf

 

このような歴史から、群山には今も多くの日本家屋が残っており、そのような日本家屋は「敵産家屋」と呼ばれ、観光地となっています。

 

7時27分にムクンファ号に乗車し、10時45分に群山到着しました。

 

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まずは腹ごしらえ。あさりカルグクスが絶品でした。

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最初は「群山近代歴史博物館」を訪問しました。

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外観

 

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館内



 

 

群山の独立運動家の展示を一生懸命見る参加者。

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1930年代の群山がリアルに再現された展示。日本を感じさせる時代劇のセットのような風景…ここが朝鮮であるということにとても暴力性を感じました。

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こんな撮影コーナーもあります。 

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近代歴史博物館のすぐ横にある、近代美術館と近代建築館に行きました。

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その後は近代美術館で近現代関連の写真を鑑賞。当時の慰安所の写真もありました。

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近代建築館では、当時の銀行や学校、日本人家屋やお寺の写真や模型を見ることができます。

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ちょうど夕食の時間になったので、トッカルビを食べました。トッカルビはもちろんおかずも美味しく、おかずでお腹がいっぱいになりそうなくらいたっぷり。

 

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宿は日本式のゲストハウス。

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カフェでみんなでお話をしたのち、

日本の大学の院生の方が、昔の遊郭の建物を探したり、韓国に唯一残っている日本式のお寺(お寺の近くに近代史関連の博物館があったのを発見)を見物しました。

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感想

日本人Aさん

日本の街並みが残って韓国人の観光地となっているが、ある意味残酷な風景かもしれません。しかし植民地時代が残した遺産を観光活用するうえでも、まずはその歴史をきちんと伝えようとする博物館展示だったので良かったです。

 

日本人Bさん

群山に行く前、インターネットで群山について少し調べていました。日本語の観光サイトには日本式家屋が多く残っていることから「日本とゆかりある地域」と紹介されており、「植民地」や「収奪」などの歴史用語は殆ど見受けられませんでした。その一方、韓国語のサイトや歴史に関心のある人のブログでは、群山が支配の遺産を観光化しており歴史を軽視している、という否定的な意見が見受けられました。

このような植民地支配による遺産をどのように扱うか、様々なところで議論になる問題です。過去には日本の総督府の建て壊しを巡る議論や、植民地時代に建設された鉄道や工場などの産業建設が宗主国の偉業といて植民地支配を正当化する論理に使われたり、逆に産業建設を利用することを否定し植民地支配の歴史を忘却することであるとの意見などが挙げられます。遺産が植民地支配を肯定するか否か、議論が二極化している印象を受けます。そして、そのどちらの議論も地域住民より外部の人間が強く意見しており、住民の視点がないことにもやもやしていました。

 しかし、群山に実際に行きそのもやもやを言語化できた気がします。群山は想像以上に日本の家屋が残っており、観光化していました。カフェや宿泊したゲストハウスも日本家屋をリノベーションしたものであり、「敵産」を活用し町全体が観光戦略としてモダンでノスタルジックな演出をつくりあげているのでしょう。しかし、だからと言って「植民地支配の歴史を肯定的なものに塗り替えている」とは思いませんでした。町を歩けば、植民地支配の暴力と搾取の痛みを表現するモニュメントや壁画もたくさんあり、地域の歴史博物館では、植民地時期に展示を多く割き、植民地収奪における群山の地理的役割、搾取の実態や、住民たちの抵抗を具体的な史料を示しながら展示しており、興味深い内容であった。地域住民の話は聞けていないので分からないが、遺産は利用しつつ、植民地支配の歴史は全体史と結びつけながらきちん郡山の固有の歴史として記憶し継承していく意思を垣間見ました。

 外部の人間が、遺産を今なお利用していることを理由に植民地支配を正当化、望郷化するのは論外であるが、「観光化したから歴史を軽視している」という一面的な地域に対する評価もナンセンスであろう。勝手に作って勝手に置いていった遺産をどうしようかは、そこに住む地域住民が決定すべきことです。もちろん、地域内での意見の対立はあるだろうが、少なくとも外部が見高に評価するものではないでしょう。

 ただ、やはり特に日本人観光客にとっては、意識をしなければ観光サイトにあるように「日本とゆかりのある地域」、もしくは「日本の支配によって近代化した地域」としてでしか、郡山を捉えられないのかもしれません。歴史博物館に行かなくても旅行は楽しめるし、壁画やモニュメントは意味を理解するのは予備知識が必要でしょう。日本人観光客が群山を植民地収奪の象徴的な地域として認識できるか疑問です。ただ、このような課題はもちろん郡山にあるのではなく、日本社会の課題なので、今後も考えていきたいです。

 

日本人Cさん

私もBさんと同じく、旅行の前に日本の観光サイトで「群山」について調べていました。しかし、「日本と関連の深い街」、「米の貿易港として栄えた町」というように、日本の略奪を反省するような感じで書いてあるサイトがほとんど見つからず驚きました。

しっかり学んで帰ろうと意気込んで行ったのですが、やはり日本人が観光して群山に残る支配や収奪の歴史を学ぶのは難しいという印象でした。博物館などに日本語の説明も少ないですし、日本語の観光ガイドなどもありません。そこらへんは光州の方ががっつり外国語の冊子もあり、外国語で案内できる案内員の方もいたり、しっかりしてました。

行って学ぼうというのは無理だなと思い、これからそういうコンテンツが増やしていけたらいいなと感じました。そしてそれはもちろん、韓国人がやるべきことではなく、日本人がやるべきことだと思います。

 

 

続き

minkai.hatenablog.com

 

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